12月6日 B年 待降節第2主日
 
今年も終わりが近づいてきました。今年はコロナウイルスに振り回された一年でした。社会生活も大きな影響を受けました。皆さんも生活や仕事にさまざまな影響を受けたことでしょう。来年は、ワクチンが開発されて、コロナウイルスを克服して、コロナ前の生活を取り戻したいものです。このミサで、来年が私たちにとって良い年になるように祈りましょう。
 さて、この時期になると増えてくるのが道路工事です。新しい道路を作る工事もあります。しかしほとんどは、道路の修理のための工事です。特に高速道路では、数日間交通を止めて大規模な修理を行います。利用する私たちは不便ですが、必要なことなので我慢します。道路は使っているうちにいろいろなところが傷みます。
修理をしないと、道路に穴が開いてそこに車が落ちて事故を起こすかもしれません。だからこそ、新型コロナウイルスの感染が拡大していても、工事を止めるわけにはいかないのです。
 今日の第一朗読、イザヤの預言にも道が出てきます。「主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」。「険しい道は平らに、狭い道は広い谷になれ」と述べられています。荒れ野に道を備え広い道を通すのは、新しい道路を作るようなイメージです。険しい道を平らにするのは、道を修理する感じです。狭い道を広げるのは、道路の拡張工事のように思えます。このように新しく作ったり修理したりして、歩きやすくなった道を歩いて行くのは、主なる神様です。主なる神様は羊飼いのように、羊の群れであるイスラエルの先頭に立って、民と共にその道を歩んでゆかれるのです。
 今日の福音では、このイザヤの預言のイメージを引用して、洗礼者ヨハネの準備した道を後から来るイエス様が通ってゆくように語られています。洗礼者ヨハネの準備とは、道を通るイエス様に人々が合流するように、「罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼」を授けることだったのです。
 悔い改めとは、自分勝手に間違っていた道を進むのをやめて、イエスキリストと一緒に道を歩むようになることです。そのためには、「いままで間違った道を歩いていました」と罪を告白して、洗礼者ヨハネの洗礼を受けなければならないのです。そのようにしてイエス様と歩む準備のできた人を、イエス様は受け入れて、ご自分の「聖霊による洗礼」を授けて、仲間にされるのです。
 私たちは、イエス様の降誕を祝う準備の季節、待降節を過ごしています。すでにイエス様の聖霊による洗礼を受けた私たちですが、時々自分勝手な道を歩き始め、イエス様から離れてしまうことがあります。そこで私たちは、自分が歩んできた道を振り返り、間違った道を進んでいないか確認します。もし間違った道に迷い込んでいたとしたら、神様に自分の過ちを告白してイエス様の道に戻ります。それがイエス様を迎える準備なのです。新型コロナの影響がありますが負けないで、降誕祭の準備を続けましょう。

12月13日 B年 待降節第3主日
今日の福音には洗礼者ヨハネが登場します。マタイ・マルコ・ルカ福音書における洗礼者ヨハネの役割は「道を整える者」ですが、ヨハネ福音書では「証しする者」として描かれています。第一朗読のイザヤ書にある、神から油を注がれて(メシアになって)良い知らせを伝える者、すなわちイエス様という光を証しするために洗礼者ヨハネは来たのです。
▲ヨハネ福音書で、イエス様と徹底的に対立するのは「ユダヤ人」です。
彼らは、ヨハネが「私は荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と」自分の立場を明らかにしているのに、「メシア」「エリヤ」「偉大な預言者」との自分たちの思い込みにとらわれて、ヨハネの言葉を信じることができませんでした。
▲私たちもまた、ユダヤ人と彼らに遣わされた人々のように、自分勝手な思い込みに支配されて、本当の神の姿を見失っているかもしれません。
▲待降節に黙想してみましょう。
 

12月20日 B年 待降節第4主日
「お言葉どおり、この身に成りますように」
 人祖であるアダムとイブはエデンの園で幸せに暮らしていたのに、蛇にそそのかされ、「これを食べるとあなたたちは神様のようになる」という巧みな誘惑に負けてしまい、自分の力で「神」と同じになろうとして、かえって「死と苦しみ」を背負うことになりました。
▲天使ガブリエルからお告げを受けたマリアは、アダムとイブとは正反対に「すべてを神様におまかせします」と答え、神の救いの計画への協力を表明したのです。▲マリアの「お言葉どおり、この身に成りますように」は、「わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」とのオリーブ山でのイエスの祈りにつながってゆくのです。▲御心が地においても行われますようにと、自分を神にゆだねることができますように。

12月24日 B年 主の降誕 
【夜半のミサ】
「主の降誕おめでとうございます」 
今年は特にイザヤの預言、「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の影の地に住む者の 上に、光が輝いた」とのメッセージが心に響きます。▲幼子イエスは、貧しい馬小屋(家畜 小屋)でお生まれになりました。イエスによって光を見た民は、病気のために社会から隔離 されている人に代表されるような社会的な弱者でした。
▲クリスマス、新型コロナウイルス の感染拡大によって苦しんでいる人のところへ、主イエスはお生まれになるのです。そこに 大いなる光がもたらされるのです。

【日中のミサ】
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。万物は言によって成った。成 ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」▲世界の創造は、神の言葉によ るものでした。「光あれ」と神の言葉が響くと、そこに光が現れました。神は、ご自分が造 った人間とともに住むためにこの世界をお創りになったのです。▲福音記者ヨハネによると、 お生まれになったイエスは神の言葉でした。この神の言葉は、語るだけでなく「私たちの間 に宿る」、つまり人間と共に生きる言葉だったのです。▲言葉の軽い時代ですが、イエスは いまも私たちの間に生ける神の言葉として共にあり、私たちを変え続けられるのです。 

2月27日 B年 聖家族
カトリック教会は、家族を社会の基礎になる共同体として大切にしてきました。それを表わす言葉が「家庭の教会」です。そのモデルになるのがイエスを囲むヨセフとマリアの聖家族なのです。▲家庭を維持することも家族の絆を作ることも、それほど簡単ではありません。人生の楽しみも喜びも家族にありますが、人生のピンチも家庭から来ますし、苦しみ、悲しみ、悩み、問題もその多くが家庭から生まれます。▲シメオンはマリアに「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」と告げました。
そのとき、ヨセフとマリアは苦しみに満ちたイエスの人生に寄り添うことを決めたことでしょう。▲この聖家族の覚悟を私たちも受け入れ、困難に満ちた時代の中で、家族の絆を育てましょう。

 

 

 

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12月6日 B年 待降節第2主日
 
今年も終わりが近づいてきました。今年はコロナウイルスに振り回された一年でした。社会生活も大きな影響を受けました。皆さんも生活や仕事にさまざまな影響を受けたことでしょう。来年は、ワクチンが開発されて、コロナウイルスを克服して、コロナ前の生活を取り戻したいものです。このミサで、来年が私たちにとって良い年になるように祈りましょう。
 さて、この時期になると増えてくるのが道路工事です。新しい道路を作る工事もあります。しかしほとんどは、道路の修理のための工事です。特に高速道路では、数日間交通を止めて大規模な修理を行います。利用する私たちは不便ですが、必要なことなので我慢します。道路は使っているうちにいろいろなところが傷みます。
修理をしないと、道路に穴が開いてそこに車が落ちて事故を起こすかもしれません。だからこそ、新型コロナウイルスの感染が拡大していても、工事を止めるわけにはいかないのです。
 今日の第一朗読、イザヤの預言にも道が出てきます。「主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」。「険しい道は平らに、狭い道は広い谷になれ」と述べられています。荒れ野に道を備え広い道を通すのは、新しい道路を作るようなイメージです。険しい道を平らにするのは、道を修理する感じです。狭い道を広げるのは、道路の拡張工事のように思えます。このように新しく作ったり修理したりして、歩きやすくなった道を歩いて行くのは、主なる神様です。主なる神様は羊飼いのように、羊の群れであるイスラエルの先頭に立って、民と共にその道を歩んでゆかれるのです。
 今日の福音では、このイザヤの預言のイメージを引用して、洗礼者ヨハネの準備した道を後から来るイエス様が通ってゆくように語られています。洗礼者ヨハネの準備とは、道を通るイエス様に人々が合流するように、「罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼」を授けることだったのです。
 悔い改めとは、自分勝手に間違っていた道を進むのをやめて、イエスキリストと一緒に道を歩むようになることです。そのためには、「いままで間違った道を歩いていました」と罪を告白して、洗礼者ヨハネの洗礼を受けなければならないのです。そのようにしてイエス様と歩む準備のできた人を、イエス様は受け入れて、ご自分の「聖霊による洗礼」を授けて、仲間にされるのです。
 私たちは、イエス様の降誕を祝う準備の季節、待降節を過ごしています。すでにイエス様の聖霊による洗礼を受けた私たちですが、時々自分勝手な道を歩き始め、イエス様から離れてしまうことがあります。そこで私たちは、自分が歩んできた道を振り返り、間違った道を進んでいないか確認します。もし間違った道に迷い込んでいたとしたら、神様に自分の過ちを告白してイエス様の道に戻ります。それがイエス様を迎える準備なのです。新型コロナの影響がありますが負けないで、降誕祭の準備を続けましょう。

12月13日 B年 待降節第3主日
今日の福音には洗礼者ヨハネが登場します。マタイ・マルコ・ルカ福音書における洗礼者ヨハネの役割は「道を整える者」ですが、ヨハネ福音書では「証しする者」として描かれています。
第一朗読のイザヤ書にある、神から油を注がれて(メシアになって)良い知らせを伝える者、すなわちイエス様という光を証しするために洗礼者ヨハネは来たのです。<BR>
▲ヨハネ福音書で、イエス様と徹底的に対立するのは「ユダヤ人」です。
彼らは、ヨハネが「私は荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と」自分の立場を明らかにしているのに、
「メシア」「エリヤ」「偉大な預言者」との自分たちの思い込みにとらわれて、ヨハネの言葉を信じることができませんでした。<BR>
▲私たちもまた、ユダヤ人と彼らに遣わされた人々のように、自分勝手な思い込みに支配されて、本当の神の姿を見失っているかもしれません。<BR>
▲待降節に黙想してみましょう。

 

 

 

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